KYOTO VIDEOS 京都4K動画Blog : 2月 2015

JR京都駅前・京都タワーとAQUA FANTASY

2015/02/23

The English version of this article, click here
>>> http://kyoto-videos.blogspot.jp/2015/02/jrkyoto-station-kyoto-tower-and-music.html

京都の夜は、街全体がいろんな光に包まれて…というのではなくて、暗くなった街のあちこちにいろんな種類の光がポツポツと浮かぶ感じです。

提灯の光、狭い道の両脇に並ぶ家々から漏れる光、商店街のまっすぐな道に並ぶ街灯…光の種類は様々です。




JR京都駅前には京都のランドマークとしてすっかり定着した京都タワーがひときわ白く光っています。




地下の入り口のあたりで光っているのは、AQUA FANTASYです。
暗くなってからの決まった時間に音楽とライトアップされた噴水が楽しめます!




時間と場所は→http://kanko.city.kyoto.lg.jp/aquafantasy/

住んでいると、時間を狙って行くことはないのですが、たまたま遭遇するとなんだかすごく嬉しくなります。とっても綺麗です!


↓昼間の京都駅ビルと京都タワーです!








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FDR-AX30・FDR-AXP35発売!!FDR-AX100とHC-WX970Mとも比べてみた

2015/02/21

昨日2015年2月21日、世間が宮﨑駿監督最後の長編アニメーション作品「風立ちぬ」のテレビ初放映に注目する中、わたくし個人的に大注目のSony4Kハンディカム、FDR-AX30・FDR-AXP35が発売されました!!!


ついにきました!!!!!!
私は待ってました!!!!!


早速電気屋さんへ!!!!!

FDR-AX30・FDR-AXP35どちらも現物がありました。一緒にFDR-AX100もあったのでサイズ・重さの比較もできます。
今ならちょっと前に発売されたパナソニックHC-WX970Mも現物・映像等出てますのでこの比較もできます。

ソニーのお兄さんの話も聞きたかったので、電気屋さんはしご。ヨドバシにも行きましたよ。


ちょっと前に発売されたパナソニックHC-WX970Mとも比較しつつ、以下、感想です!!



【サイズ・重量は思ったより小さくないし軽くもない】


サイズ・重量についてはFDR-AX100の2/3ぐらいといったところでしょうか。
FDR-AX30・FDR-AXP35の重量の違いは、私はあんまり分かりませんでした。

FDR-AX100はけっこうがっしりサイズで重いのですが、女性の私でも別に苦労なく扱えますので、それを考えると、大きさや重さが不自由というほどのことはありません。

ただ、先に発売されたパナソニックのHC-WX970Mと比べると、これはかなり大きくて重いです。
HC-WX970Mぐらいの形状と重さが希望の場合や、気楽にカバンに入れて、さっと取り出してぱぱっと撮るような使い方をしたい場合はちょっとネックになりそうです。



こちらがFDR-AX30を手に持ったところ。
ちなみに私の手は、成人で私より手が小さい人を見たことがないぐらい小さいです。
それでコレなので、普通の手の方は操作に問題はないかと…



こちらはFDR-AX100を手に持ったところ。
指で上の面にがっつり触るのはちょっと無理です。



【画質はFDR-AX100よりやや劣るがHC-WX970Mより良さそう】


私はカメラについての専門知識はほぼありません。ですので、映像に対する感想は店頭のデモ映像で感じたイメージのみです。

暗いところでのノイズや調整の効き具合等細かいことは分かりませんが、4Kといえば精細な細部表現が特徴ですので、ここを中心に見て行きたいと思います。

FDR-AX100との比較でいくと、やはり画質は落ちるように感じました。FDR-AX100の場合、例えば芝生等は草の1本1本まで、肌や髪の毛は毛穴や髪・しわまでギチギチに映るのですが、FDR-AX30・FDR-AXP35はそのあたりが若干HDで撮ったっぽい感じに見えました。色も細かいグラデーションが出ずちょっとのっぺりした印象を受けました。

ただ、ものすごく画質が落ちるかというと、そこまで劣化しているようには感じられませんでした。
撮り方や被写体によっては言われないと両者の違いが分からないぐらいのものもあります。

HDの映像との比較では、もちろん画質はFDR-AX30・FDR-AXP35の方が全然いいです。


HC-WX970Mとの比較ですが、これは圧倒的にFDR-AX30・FDR-AXP35の方が良さそうです。

分かりやすい部分で説明すると、電気屋さん等でデモ映像を見る機会のある方は、髪の毛の映り方に注目して欲しいのですが、HC-WX970Mの方は毛というよりは完全に束のように映っているのに対し、FDR-AX30・FDR-AXP35は多少の束感はあるものの毛として認識できる範囲です。
FDR-AX100の場合はこの束感が少なく、毛が1本1本くっきり分かる感じに映ります。

HC-WX970Mはどの撮り方でもこの「束みたいな感じ」というか「形を面で取ったような感じ」というか「水彩画フィルターをうっすらかけた感じ」というかなんというか細部がきっちり映らないところがかなり目につきます。
HC-WX970Mは色味が浅いです(色が汚いという意味ではないです。色の調子は綺麗)。ソニーの方は色は比較的こってり目です。

色の深い浅いは照明や設定の問題、好みの問題など絡んできそうですが、細かいところがしっかり細かく撮れるかどうかということでいえば、FDR-AX30・FDR-AXP35の方がかなりいいと思います。



【FDR-AX30・FDR-AXP35手ブレ補正めっちゃすごい!!!】


だいたい店頭に行くと、本体をガタガタ揺らすマシンが置いてあって、手ブレの比較を実際に見せてくれると思うのですが、まあこれがブレないこと山の如しです!アップにしても揺れをかなり抑えています。実際見るとびっくりします。


今回私がFDR-AX30の購入を考えているのは、実はこの手ブレ補正機能が一番の目当てです。

FDR-AX100は普通に手持ちで歩く等は論外で、三脚がないと即酔い待ったなしの映像になります。
手持ちで歩いてもギリギリ酔わない程度の揺れ、車にちょっと載せて走っても段差でいちいちボコスコならない感じに撮れるなら、かなり撮影できるものの幅が広がると思ってかなり期待していました。

店頭で見る限りでは、この手ブレ補正ならうまく歩けば手持ちで歩くのも問題ないレベルまでいけるのではないかと思えるぐらいで期待以上でした。



【ズームのスピードがFDR-AX100より早い】


店頭で触れた範囲で感じた点ですが、ズームのスピードがFDR-AX100より全然早いです。
あとソニーのお兄さんの話では、ピントもだいぶ早く合わせてくれるようになったらしいです。

AX100はピントをあわせるのがあまりうまくありません。

実際にがっつり触れなかったのでピントについては話だけなのですが、ピントがモタモタするのはちょっとストレスだったところはあったので、このあたり目に見えて改善されているなら嬉しいところですね。




【FDR-AX30・FDR-AXP35 結局どうなのか】


このあたりの価格帯のビデオカメラなら画質重視ならFDR-AX100、三脚等立てられない状況での撮影が多い・画質はそこそこでいいから手持ちで撮りたい・手ブレ補正重視な場合はFDR-AX30・FDR-AXP35、いつでもどこでも持ち歩いて撮れる機動性、ワイプ等の便利機能が必要ならHC-WX970Mかなというのが私の感想です。

ただ、パナソニックHC-WX970Mはデータが勝手に4GBで分割されてしまうこの4GB縛りが相当なネックです。



【ビットレートとフレーム数】


話がそれますが、ビットレートが100Mbpsか60Mbpsの問題については、綺麗かどうか以前に、私は撮影したものは必ずPCで編集をするので、60Mbpsじゃないとデータの取り扱いがキツすぎるため、100Mbpsで撮影という選択肢は考えにくいです。CPUi7・メモリ8GBのスペックで60Mbpsの再生・読み込み・編集等がけっこうギリギリ気味です。

FDR-AX100もアプデで100Mbpsいけるようになるそうですが上記の理由で60Mbpsで撮ると思います。


フレーム数の問題もよく話題になります。





このお寿司大好き動画の途中に、お寿司のレーンを真横から撮ったものが入っていると思うのですが、近いところはかなりキツい感じになってしまっています。

私の撮り方が下手なせいもかなりありますが、こういう感じで近くで動くものを撮ると、すごく違和感が出ます。
FDR-AX30・FDR-AXP35もデモ映像を見ていると、同様に近くで動くものは違和感を感じるシーンがいくつかありました。

他の動き方だと30フレームでもそこまで違和感はないと思います。





こちらの動画の鳩が密集している後半の映像は離れた位置からズーム撮っているのですが、こういうのはそんなに違和感なく撮れるようです。


なめらかな動きにこだわる場合は、やはり30フレームではキツいというのは確かにあります。動きにこだわる場合はビットレートも上げたほうが確かに綺麗です。

しかし、4Kの60フレームのビットレートも高いデータを取り扱おうとすると、恐ろしいスペックの周辺機器が必要となりそうなので4K画質となめらかな動きの両立は現状ではなかなか厳しそうです。



【FDR-AX30購入の方向ですがお値段が気になる】


手ブレ補正と画質のバランスが思った以上によかったので、2台目のカメラとしてFDR-AX30の購入をかなり前向きに考え中です。

しかし、ここで気になるのがお値段です。

先に発売されたパナソニックHC-WX970Mが価格.comの価格推移でも分かる通り短期間でかなり安くなりました。

ソニーもすぐ買うのはちょっと怖いな…と思ったり……。これはちょっと様子を見たいところです。





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京都・北野天満宮の梅

2015/02/17

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>>>http://kyoto-videos.blogspot.jp/2015/02/japanese-plum-flowers-kitano-tenman-gu.html


京都・北野天満宮といえば梅。
梅苑はもちろん、境内にもたくさんの梅があって、とてもきれいです。

そろそろ梅の季節なので、どんな感じか昨日ちょっと偵察に行ってきました。





東門の灯籠の辺り、中門、手水舎・宝物殿の牛さんのあたりはまだつぼみが多いもののけっこう咲いていましたがそれ以外はまだまだですねー。





それでも境内は梅の香りでいっぱいで、春もう来てるな!!って感じでした。





本殿はまだつぼみも固いという感じでしたね。。。

満開になったら花も香りもステキな別世界になりそうで楽しみです!!


↓これはお正月の雪のときの北野天満宮。



↓こちらは秋の紅葉のときの北野天満宮。これはビデオはじめたての頃撮ったものですねーそんなに時間経ってないけど懐かしいです^^








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京都・だるま寺の節分祭

2015/02/16

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>>>http://kyoto-videos.blogspot.jp/2015/02/kyoto-japan-4kdaruma-dera-temple.html





京都・だるま寺の節分祭です。
普段は静かなお寺なのですが、節分祭の時はかなりの賑わいです。

普段のだるま寺はコチラ!→http://www.kyoto-blog.com/2015/02/blog-post_74.html


【だるま寺の節分祭】





例年2月2日・3日と4日の午前中に行われます。
私は4日の午前中に行きました。



門に古くなっただるまお守りを挿します。
お祭り3日目ともなるとすごい量です。




本堂の縁側にはだるまがずらっと並びます。




普段は非公開の屏風も飾られます。
この屏風がかなりおもしろいです。

顔面ロン毛だるま





おばちゃんだるま





おばちゃんだるま2





なぜか泣きそうになっているだるま

奥に謎のだるまがいます。タコ?




キューピーっぽいだるま

ここのだるまはなんだかアニメの敵キャラで出てきそうな感じです。
一番後ろのだるまを見ると川藤幸三さんを思い出します。




だるまと普通の人形の境目ぐらいな感じのだるま

右の茶色いだるまが市原悦子さんに見えて仕方ありません。




【豆まきのかわりに御札を貼る】


御札に願い事を書いてだるまに貼ると願いが叶うそうです。
みんなの願いを全身で受け止め、もはや何か分からない状態になっているだるま




境内ではご祈祷が行われていて、お参りもできます。
だるま納め所もあるので、古いだるまさんがあれば持参できます。

あとはハト茶の無料接待や300円でお抹茶を頂けたり、住職さんのだるま説法が聞けたりといろいろ盛りだくさんです。

そして、2日・3日にはだるま焼が売られています。おいしいです!表面にはかわいいだるまの焼き印が付いていて食べるのが惜しいぐらいなのですが、おいしいので食べましょう!


【だるま寺節分祭は2日・3日がオススメ!】


だるま焼きを推しておいて何なのですが、私は今回4日に行ったので、だるま焼は食べられませんでした…。
興味のある方はgoogle先生で検索してみてください。

だるま焼は3日の夕方でもう店じまいするらしき話を聞いたことがありますので、欲しい方は早めに行ったほうがいいかと思われます。

4日はもうすでに朝のうちから撤収モードが漂っており、随所でじわじわと片付けが進行している感じですので、お祭りを満喫したい場合は、2日・3日にお参りに行かれることをオススメします。





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京都・だるま寺(法輪寺)でだるまを堪能

2015/02/15

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>>>http://kyoto-videos.blogspot.jp/2015/02/daruma-dera-temple-many-many-daruma-doll.html





京都・下立売通りの西大路を東に少し行ったところにだるま寺と呼ばれるお寺があります。
正式名称は「法輪寺」ですが、通称のだるま寺の方が有名です。

ちなみに、京都には法輪寺というお寺がもうひとつあります。こちらは嵐山にあり、十三参りで有名なお寺です。

節分祭の様子はコチラ!→http://www.kyoto-blog.com/2015/02/blog-post_16.html


【だるまだらけの境内】


「だるま寺」と呼ばれるだけあって、境内の至る所にだるまがあります。
祀られているだるまの数はなんと8000余りだそうです。


こちらのだるま像の下には干支の動物の像が並んでいます
下の台座はペットの納骨所になっているそうです




境内にはだるまの像がほかにも…




瓦にもいろんなだるまが





壁の明かり取りもだるま



とにかくすごいだるま密度です。


境内には本堂の他に鐘楼・衆聖堂・映画創業以来の関係者を祀った貴寧磨(きねま)殿、珍しい等身大の寝釈迦木像など見どころがいろいろありますが、今回はだるまを堪能ということで達磨(だるま)堂をがっつり紹介します。


【だるまを祀る達磨堂】


こちらが達磨堂です。




入り口にもだるま




上を見ると瓦もだるまです。




中にはところ狭しとだるまが並びます。
これらは諸願成就で奉納されたものだそうです。




天井にもだるま!




中央のだるま像




ひとつひとつ違ういいお顔のだるまがとにかくたくさんなので、ずっと見ていても飽きません。


ちなみに私のお気に入りはこちら



パソコンの横に置いて、データが飛んだ時などに眺めると、飛んだデータのことなどどうでもよくなりそうな、そんなお顔です。


【だるまのモデルは禅宗開祖の達磨大師】




だるまのモデルは禅宗開祖の達磨大師。5世紀後半から6世紀前半の人です。
達磨大師はインドの王子として生まれましたが、出家して僧となり40年余り修行した後中国に渡り初めて禅宗を伝えました。

達磨大師といえば、「面壁九年」、壁に向かって9年も座禅し修行していた逸話が有名です。

このとき達磨大師は、寒さよけの布団を頭から被って座禅していました。
達磨大師の絵はこの姿で描かれることが多く、日本にも禅宗とともに達磨大師の伝説と姿が伝わり、ここから現在のまるいだるまの姿が生まれたと言われています。

また、達磨大師は9年の座禅により手足が衰え腐り落ちてしまったという伝説もあり、ここからだるまのまるい形が生まれたという説もあります。


【皆に親しまれる縁起物に】


だるまは禅宗開祖の像からなぜ縁起物になったのでしょうか。

「起き上がりこぼし」というおもちゃがありますが、これがだるまと形が似ているということで徐々に混同されるようになります。

すると、倒しても自力で起き上がる様子がだるまの紅白の見た目と相まって縁起がいいということになり、縁起物になりました。

その後、達磨大師の不撓不屈の精神にあやかり、願掛けにも使われるようになりました。
願いを込めて片目を入れ、その願いがかなうともう片方の目も入れるというものです。

目の入れ方はだるまの左目から入れるところが多いようですが、諸説あり、とくに決まっているわけではないようです。


【七転八起】




七転び八起き。何度失敗しても諦めずに立ち上がる、まさに達磨大師の不撓不屈の精神のような言葉です。

ちなみによく似た言葉の七転八倒は転げまわってもがき苦しむという意味なので、倒れるか起きるかでえらい違いです。


【気心腹人己】




だるまのおなかに書かれている「気心腹人己」
これは、「気は長く、心は丸く、腹立てず、人は大きく、己は小さく」という意味です。
漢字がこれと同じ形になっていますね。
これは達磨大師の教えだそうです。


【庭もきれいです】


本堂の無尽庭は広くはありませんが、苔と木々の緑がとても美しい庭です。
秋には紅葉がとてもきれいです。あまり観光の方で賑わうようなお寺ではありませんので、ゆっくり楽しむことが出来ます。


京都の観光名所ではありませんが、たくさんのだるまに囲まれて笑顔で過ごせるお寺です。





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京都西陣・雪の4K車載動画~平安京・聚楽第・京町家・町や通りの名前に残る歴史~

2015/02/08




2015年2月1日の京都・西陣の朝の車載動画です。お正月以来の雪景色になりました。

動画内でもそれぞれの道や付近の歴史についての説明をしていますが、ブログではもう少し詳しく書いていこうと思います。


【千年以上前から様々な歴史の舞台になった西陣】


今回の動画で回ったのは西陣織で有名な「西陣」と呼ばれる地域です。現在でも織物に関係する仕事が多く集まっています。






位置は地図の赤色に塗った部分、京都市の中央より少し北西で、すぐ側には京都御苑や二条城があります。


【平安京の北端】


794年の遷都の際に作られた平安京は、このエリアが北端でした。

動画にも出てくる一条通りは、平安時代には一条大路と呼ばれ道幅約30メートルもあったそうです。




現在ではかなり道幅が狭まってしまいましたが、道の位置は当時とほぼ同じです。


【応仁の乱の「西」軍の「陣」地】


1467年には応仁の乱が起こり、主戦場となった京都はほぼ全域が戦火によって壊滅的な被害を受け、荒廃していきます。
この戦いで、西陣のエリアには西軍の陣が敷かれました。
これが「西陣」の名の由来となっています。


【豊臣秀吉の聚楽第】


1587年には豊臣秀吉の都市計画によって京都の町は整備され、西陣のあたりには聚楽第が作られました。




画像は中立売通り。右手の小学校に聚楽第跡の碑があります。

聚楽第は瓦に金箔を使うなど、大変豪華な平城だったようですが、1595年には秀吉の命により徹底的に破却されているので、詳細はよく分かっていません。

しかし、動画に映っているユニクロの向かいにあるハローワークの建て替え工事の際に金箔瓦が出土したり、この付近でマンション建設等の工事が行われると聚楽第の遺構が発見されたりするので、ここに聚楽第があったことは間違いないようです。




画像は金箔瓦が見つかったハローワークの向かいにある聚楽第跡の碑


【黒田官兵衛・上杉景勝・千利休…戦国武将の家がここに…】


聚楽第の側には豊臣秀吉の親族や側近、配下の武将の屋敷が立ち並んでいました。

動画のエリアにある石碑をご紹介します。




動画には映っていませんが、一条通にある黒田如水邸跡の碑。
黒田如水は、大河ドラマでも取り上げられた秀吉の側近、黒田官兵衛。如水は隠居後の号です。




動画の一条通開始のこの場面の辺りから、300メートルほど後ろ(東)に碑があります。




右に見えるのが黒門通にある上杉景勝屋敷跡の碑。このあたりは上杉景勝の役職の「弾正大弼」にちなんだ「弾正町」という町名です。




こちらは葭屋町通、晴明神社の二の鳥居の横にある千利休屋敷跡の碑です。


石碑の他にも町の名前に屋敷の名残が残っている所もあります。



赤い消火器ボックスに「飛弾殿町」の町名が見えます。
飛弾殿町の名前は、「飛騨守」が通称の蒲生氏郷の屋敷があったことが由来です。

聚楽第跡の周囲のエリアには、この他にも、先程石碑があった黒田官兵衛(如水)の「如水町」、加藤清正の通称「主計頭」にちなんだ「主計町」、福島正則にちなんだ「福島町」など武将が由来となっている町名がたくさんあります。


【町家の雰囲気を残す京都の町並み】


●いけず石



いけずとは意地悪の意味。家の敷地の角に石を置き、敷地の壁を車が擦ったり勝手に駐車されないようにして、先手を打って揉め事を避ける自衛手段。つけもの石程度の普通の石から、どうやって運んだのか気になるぐらいの巨石、テカテカの黄色に塗った石などいろいろです。




●うなぎの寝床

間口が狭く奥行きが長い「うなぎの寝床」という独特の短冊状の細長い敷地に昔ながらの町家が並びます。
最近は家屋の老朽化による建て替え等で、町家自体の数はどんどん減っています。

●だいたい一方通行

京都の道は複数車線でない限りだいたい一方通行になっています。慣れないと、すぐそばに目的地があるのに曲がれず、どんどん目的地から遠ざかっていく事態も…。

●お風呂屋さん

京都は古い家が多く、つい数十年前までお風呂のない家が多かったため、銭湯がたくさんあります。それも今ではライフスタイルの変化や銭湯の老朽化などで、かなり減ってきています。


●元○○という通り名や町名



赤い消火器ボックスに元妙蓮寺町という町名が見えます。これは、もともとここにあった妙蓮寺が由来になった町名です。妙蓮寺は聚楽第造営の際に豊臣秀吉の命で移転しました。

そして、この道は元誓願寺通。もともと誓願寺があった道ということで付けられた名前です。誓願寺も秀吉の都市計画によって移転しています。


古いものと新しいものが共存し、歴史を感じることができる西陣界隈。
京都にはこのような風景がたくさんあります。もし京都を訪れることがあれば、町並みの雰囲気も楽しんでみてくださいね!





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Nishijin Kyoto - History of Kyoto remains in town -




This is Kyoto on the morning of February 1, 2015.
In Kyoto, It was snowy landscap since New Years this year.

I will describe the history of Nishijin in more detail.


【Nishijin has long history】


Nishijin is the birthplace of Nishijin Textile.
Even now, there is the area where work related to the textile gather.






Position of Nishijin is red part on this map.


【The northern end of the Heian period Japan's imperial palace】


The capital was moved to Kyoto and imperial palace was built in 794.
Here was the northern end of the imperial palace.

Ichijo-dori Street that was introduced in video was in the same location since the Heian Period.
Road width of the time was 30 meters!



Road width has become much narrower than the Heian period.



【The encampment of the western army at the time of the Onin War】


In June 1467, the Onin War began in Kyoto City.
Oni War was civil war. The cause was a succession race generalsin the shogun family of Ashikaga.

Kyoto was the main battlefield of the Onin War.
As a result, Kyoto was destroyed almost entire area, and was devastated.

Nishijin was the encampment of the western army at the time of the Onin War
This is the origin of the name of "Nishijin".
(Nishi=western, Jin=encampment)


【Hideyoshi Toyotomi built Jurakutei】


Kyoto was redeveloped by Toyotomi Hideyoshi's urban planning in 1587.
Around the Nishijin, Jurakutei was built.

Hideyoshi Toyotomi is the person who unify the whole Japan in the Sengoku period.




This is the Nakadachiuri-dori Street.
There is stone monuments of "Former Jurakutei site" in the elementary on the right.

Jurakutei was government office and residence of Hideyoshi Toyotomi.
It was supposedly luxurious castle. For example, roof was covered with golden leaf.
However, It is not well understood for more information because Jurakutei was thoroughly destroyed by the order of Hideyoshi Toyotomi in 1595.




This is the stone monuments of "Former Jurakutei site" in the street intersection of Omiya-Nakadachiuri.
When a large-scale construction, remains of Jurakutei is often found in this area.


【The residence of a SAMURAI family】


Around the Jurakutei, There were many residences of Hideyoshi's relatives and vassal.

I will introduce the stone monuments in the area that appeared to this video.




This is the stone monuments of "Former Josui Kuroda's residence site" on the Ichijo-dori Street.
Kuroda Josui is the famous close adviser of Hideyoshi Toyotomi.




There is a stone monument at the back of this scene in the video. Distance is 300 meters.




This is the stone monuments of "Former Kagekatsu Uesugi's residence site" on the Kuromon-dori Street.
Kagekatsu Uesugi was a vassal of Hideyoshi Toyotomi.




This is the stone monuments of "Former SEN no Rikyu's residence site" on the Yoshiyamachi-dori Street.
SEN no Rikyu served Hideyoshi as a master of the tea ceremony.


During the rule of Hideyoshi Toyotomi, there were a lot of feudal lord's residences in this area.
There is a place where feudal lord's name is the origin of the town name.



The name of the town is written on the red box. It is Hidadono-cho.
The origin of the town name is Ujisato Gamo who is the close adviser of Hideyoshi Toyotomi.
His common name was Hidanokami.

There are many towns named associated with feudal lord's who served under Hideyoshi around this area.


【Old atmosphere remains in the streets】


IKEZU-Stone



Ikezu means spite.
When stone is placed on the corner of the house, it is difficult to enter people and cars.
This is the wisdom to avoid trouble beforehand.




Unagi no nedoko (bed of eels)

In Kyoto, the house sits width is small and the depth is large.
Because of this, House in Kyoto sometimes called "eel of bed".

Almost One‐way traffic

In Kyoto, There are many many street which vehicular traffic is allowed to move in only one direction.
In the case of the car, it is struggling to get to the destination if you are unfamiliar.

Public bathhouses

There were many house that does not have a bath until a few decades ago in Kyoto.
Because of that, There are a lot of public bathhouses.


Towns and street named "Moto(from the first) --"



The name of the town is written on the red box. It is Moto-Myorenji-cho.
"Moto" means "from the first".

From the first, there was temple that called Myoren-ji Temple here. But Myoren-ji Temple was relocated for Jurakudai construction by the order of Hideyoshi Toyotomi.
This is the origin of the town name.

And, this street called Moto-Seiganji-dori Street because here is street that was Seigan-ji  Temple from the first.
Seigan-ji  Temple was also relocated by the order of Hideyoshi Toyotomi.



Kyoto is the town that mix "new things" and "unchanging thing more than a thousand year".
In Kyoto, There are a lot of landscape like this.
If you visit Kyoto, would you like to try to enjoy streets that remain atmosphere of history?





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